愛宕(あたご)踏切
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海側。手前側は山陽本線。 |
山側。手前側は芸備線。 |
場所:広島県,JR山陽本線:広島-向灘,芸備線:広島-矢賀間
元有人踏切...のはずなんだが,未だに踏切小屋が健在し,
係員がいる。もしかしたら昼間だけかもしれないが。
多頻度運転される山陽本線上下線客貨の区別アリで更に芸備線,
おまけに広島運転所から広島駅に出入りする車両も通るので,
典型的な「開かずの踏切」になっている。しかも,踏切の両側が商店街故か,
それともただめんどくさいだけなのか,
近くに道路跨線橋があるにも拘らず,車も人もここをよく利用する。
跨線橋建て替え後は目立つようになったせいか,跨線橋の利用者も増えたが,
以前はこれも利用者は少なかった。
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左中2枚の小屋は海側の踏切小屋で,
中で係員が踏切の安全を見守っています。右の小屋は山側のもの。
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おばあちゃんが渡り切るまで,遮断機が半下がりの状態で待っています。
恐らく踏切内に何か残っていると,それが脱出するまで遮断機が下りないように
係員がしているようです。
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まあほんとに列車が次から次へと通る。
右の写真をクリックしてもらえれば分かるが,1回遮断機が降りると,
この中のうちの最低3本は通るようである。それも次から次へとくるので,
かなり長いこと待たされる。
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2003/3/26に跨線橋の建替えが終わり,
改めて取材しました。
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建替えられた新しい跨線橋(クリックすると大きいサイズの画像が出ます。)
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先代の跨線橋は,この踏切のあまりの開かずの踏切ぶりで,
国鉄職員が職員横断用に作ったと言われている。
後に一般にも解放され,踏切の閉まっているとき,或いは太田川の花火大会や,
戦時中の列車の見送りの時,歩行者はこれを利用するようになった。
1945年に原爆が投下された際にも見事に生き残っている。
建替えられた現在の跨線橋は従来に比べ段差が緩やかになり,
エレベーターも付いた。
たかが踏切の跨線橋でここまでの設備を持つものはそうは無いだろう。
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山側エレベータ脇の旧跨線橋のモニュメントと説明板
(クリックすると大きいサイズの画像が出ます。
説明板は字が見えるようにサイズがでかくなっています。)
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先代の跨線橋は先にも述べた通り被爆建造物の為,
トラス部分と親柱が山側の跨線橋下に保存されました。
古レールを使用しているとの旨だが,200年以上前のものとは流石に驚きである。
解体工事直前の頃の様子はこちら
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