中国新聞で,この踏切の跨線橋が被爆建物(海側の階段からトラス部まで)で,
しかも撤去されると分かって,2002年の2/21に大急ぎで取材しました。そのときのものです。
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海側。手前側は山陽本線。 |
山側。手前側は芸備線。 |
解体工事が始まった直後の様子。
海側の警報機は建替え工事の完成直前に交換された模様。
実はこの警報機,解体工事前は山側に似た形態であった為,
写真のものは仮設だったと考えられなくもない。
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解体工事前は右の写真のような方向指示器が設置されていた。
これも建て替えに合わせて交換された模様。
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被爆建物である跨線橋を左側から,海側から順番に並べてある。
(クリックすると大きいサイズの画像が出ます。)
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この跨線橋は,この踏切のあまりの開かずの踏切ぶりで,
国鉄職員が職員横断用に作ったと言われている。
後に一般にも解放され,踏切の閉まっているとき,或いは太田川の花火大会や,
戦時中の列車の見送りの時,歩行者はこれを利用するようになった。
1945年に原爆が投下されたが,この跨線橋は見事に生き残った。
その後も芸備線のための延長(山側のトラスになっていない部分)や,
電化に伴うかさ上げ,その他補修工事により今日まで生き長らえて来た。
現在は先にも述べた通り建替えられ,
トラス部と親柱だけが保存されるのみとなっている。
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