・ハンドルネーム
百円玉
Signal from みやぎ開設前から使用しているハンドルネームです。かれこれ6年近く使っておりますが、特にこれといった意味は無く、適当につけてしまいました。しかしながら、今考えると“○○円札”やら“五百円玉”などという名前より、“百円”という価値の大きさが自分の身の丈に合っているような気がします。親しい間柄の人の中には、“百円”とお呼びになる方もいらっしゃいます。
・生年月日
昭和6x年2月xx日
今から20年程前の仙台のこの日は大雪だったといいます。そのとても寒い日の午後に誕生した私は、生まれて早々“泣かない”というアクシデントを起こしてしまい、生まれて初めてシリを叩かれたのが医者という、なんとも恥ずかしい人生のスタートを切りました。また、誕生時刻も、泣かないというアクシデントのお陰で誰も確認しておらず、正確な時刻が分からなかったため、後日、医者が「取り敢えず14時過ぎだったから、生年月日と合わせよう」という事にしてしまったため、生年月日と誕生時間の数字が同じになっています。
・住み処
宮城県仙台市
生まれてから今まで、4年間しか仙台市以外に住んだことがなく、完全に“仙台っ子”です。その4年間のうちの1年も宮城県内での引越しでしたので、宮城県外から出たとなると僅か3年間しかありません。空白の3年間は両親の仕事の都合で日本を離れ、海外に住んでいました。よく周囲の人から「○○語しゃべれるんでしょ?」とか「通訳してよ!」とか言われますが、帰国後10年程が経過してしまったため、私にはそんなこと出来ません。
仙台についても若干触れておきます。東北地方の玄関口として知られる仙台市は、21世紀を目前にして人口が100万人を突破しました。政令指定都市のひとつで、東北有数の街となっています。主な名物は笹蒲鉾、仙台味噌、ずんだ餅などで、意外と知られていない名物として仙台箪笥があります。夏の東北三大祭のフィナーレを飾る仙台七夕祭は毎年8月上旬に行われ、全国から沢山の観光客がやってきます。仙台駅前はある程度高層ビルやデパートが建っており、一風都会めいていますが、少し郊外に出れば緑が多くある自然豊かな環境があります。程よく都会、程よく田舎が両立された仙台が私は大好きです。しかし、地震多発地域ですので、お越しになる際は地震が起きないようにお祈りしてください(笑)
・性格
超短気
A型だから、なんてことは理由になりませんが、短気です。“短気は損気”と昔から言われていますが、なかなか直すことが出来ません。普通の人が適当に流してしまいそうな些細なことでもキレます。普段は適当に流すポーカーフェイス(を自称しているだけ)なのですが、一度キレモードに入ってしまうと大変です。大声は序の口、酷いと手やら足やらが出ます。年齢が上がるに従って若干落ち着いてきましたが、未だにこの“超短気”のケは抜け切っていません。友人から“安全装置のない時限爆弾”という称号を貰ってしまうほど、ヤバい性格です。
・好きなコト、モノ
運転、信号機、睡眠
運転については下で別に触れておりますので、詳しくはそちらを参照してください。好きなモノ=信号機という図式は大昔から出来上がっており、これは現在も全く変わっていません。友人とドライブに行って、初めて通る道路だと必ず信号をチェックしています。睡眠については敢えて書くまでもないですが、大好きです。寝るときがこの世で一番幸せであると信じています(笑) 平日の睡眠時間は平均約4時間半、休日は平均約12時間は寝ます。一度眠りに入ってしまうと、目覚ましがなってもなかなか起きません。平日は目覚まし時計2つ、携帯の目覚ましを5分置きにかけていますが、これでも起きられないことがあります。休日は目覚ましもかけず、ひたすら寝ます。とんでもない日だと20時間近く寝たままの時もあります。しかも一度も目を覚まさずに(笑) 目が覚めてもすぐにまた寝られるという、結構オトク(?)な体質なので、その気になれば一日中布団から出ないことも余裕です。
・嫌いなコト、モノ
メロン
以前はこの項目に“勉強”が入っていましたが、現在はそうでもありません。大学に入ってからは自分の好きなことを研究しておりますので、別に嫌気もさしません。しかし、メロンだけは未だにダメです。大昔は好んで食べていたらしいのですが、物心ついた頃には口に入れることが出来なくなりました。メロン風味のお菓子や、メロンパンなどは全然大丈夫なのですが、生のメロンは見るのもイヤです。スーパーなどで山積みになっているのを見ると後ずさりしたくなります(笑) 大抵の食べ物は食べられますが、このメロンだけは、これから一生敵のままでしょう。
・信号歴
よく分からないので大昔からってことで...
自分の記憶では幼稚園に入る前頃から信号機を見ていたような気がするのですが、周囲の人々の話では、1歳過ぎ頃から信号機に興味を示していたようです。交差点で信号待ちをしている間は、ずっと信号機を見ていたとか(笑) また、当時は踏切も好きで、電車が通り抜けて踏切が上がってしまうと泣き出すこともあったと言います。幼稚園の頃から信号メーカーが数社あることに薄々感付いていました。小学校に入学し、漢字が読めるようになるとさらに幅は広がりました。当時、テレビっ子や、ゲームっ子と言われる現代人の私ですが、視力は両眼とも2.0を維持しており、肉眼でプレートを読むことも可能でした。いくら暗いところで本を読もうが、何時間もゲームをしようが全く視力が落ちなかった私ですが、高校に入学した頃から一気に視力が下がり、現在は普通自動車免許取得条件ギリギリの両眼で0.7程度しかありません。このままのペースですと、次回の免許更新時に“眼鏡等”が追加されてしまうのは、もはや避けられない状況です。
話を戻して信号機について少々語ります。私のご贔屓メーカーは小糸工業で、2代目金属製丸型(通称包丁)が一番のお気に入りです。昔から大変鮮やかなレンズを使っており、設置から30年程度経った旧型灯器でさえ、現在でも視認性に問題があるとは思えません。また、非常にデザインが斬新であることも好きである理由のひとつです。小糸製品であれば、信号機であれ交通機器であれ、大抵興味を示します。
・パソコン歴
よく分からないので15年程度ってことで...
小学生の時分は、自宅にあったSHARP
書院 WD-520というワープロを使っていました。無論、画面はブラウン管。カラー表示などというものはなく、白黒でした。“パソコン”というものを初めて触ったのは学校でして、なんと、リンゴ印のMacが私のパソコンデビューとなりました。90年代前半でしたが、既にGUIが採用されており、幼いながら驚いた記憶があります。その後、偶々自宅にやってきたPC-9801
NX/Tというノートパソコンを貰い受け、小学生ながらにMS-DOSのコマンド(今時の若い方は、MS-DOSのコマンドを全く知らずWindowsを使っておられる方が多いようですが、Windowsも基本的にMS-DOSのシステムで動作しています)を必死で覚え、ゲームで遊んだものです。CPUのクロック数も間もなく4GHz台、メモリも1GB越えが普通という時代に突入する現在では信じられませんが、このPC-9801
NX/TのCPUクロック数は2桁MHz、メモリは4MB程度しかありませんでした。勿論、液晶は白黒表示。当時としてはこれでも激早のハイスペックマシンだったのです。Windows3.1もリリースされていましたが、小学生の私が買える値段ではなく、MS-DOSを使い続けました。時は流れ、95年。私のパソコン人生(?)を決定的にするOSが登場しました。Windows95です。友人宅で初めて見たWindows95は、嘗て初めてパソコンに触ったときに目の前にあったMacOSを越えていました。非常に分かり易い表示、そして使い方。しかし、またここで問題がひとつ。私の端末は未だにPC-9801
NX/T。これにWindows95が入る筈がありません。私には我慢してMS-DOSを使い続けるという道しか選択肢はありませんでした。小学校高学年になり、時代はWindows98。流石にMS-DOSで使えるソフトもなくなってきました。そして私は遂にパソコンの買替えを決意。当時持っていた有り金、貯金を全額叩いて買った中古パソコン、それがPC-9821
Nb10/S8です。私にとっては初めてのカラー液晶、Windows95という端末でした。スペックは当時としては最新鋭のPentium100MHz、メモリは増設して48MBと、Windows95程度であればサクサク動く素晴らしい端末でした。気付けば中学に入学。時代はWindows98SE。中学入学後、Windows2000,Meが立て続けにリリースされ、Windows95は時代遅れな感が否めなくなりました。諦めた私は、ある年のお年玉を叩いてWindows98を購入。PC-9821
Nb10/S8にインストールしたのは良いのですが、動きがかなり重くなってしまいました。しかし、せっかく買ったWindows98だからと、私は気合で使い続けました(笑) 中学にも慣れてきたある日、デスクトップが欲しくなった私は中古のPC-9821
V13を購入。PC-9821 Nb10/S8とさほど変わらないPentium133MHzでしたが、メモリが96MB。やはり体感速度はかなり違いました。このPC-9821
V13、現在はフルチューンされ、PC-9800ユーザーを見捨てなかった素晴らしい会社、メルコ様の某商品を取付け、CPUはK6-2
266MHz、メモリはフル装備128MBです。未だ現役で使用しています(が、CバスタイプのLANボードには10/100Mbpsのモノがないらしく、10Mbpsのボードを使っているため、非常に通信速度が遅いです)。高校に入学した頃、マイクロソフトはWindows
XPをリリース。遂にPC-9800シリーズユーザーを見捨てました。Windows2000まではPC-9800シリーズでも使用可能だったのですが、Windows
Me,XPで完全にPC/AT機専用となってしまいました。時代がそうなってしまったのでは仕方ない。私は中古のPC-98NX
Lavie LV13Cを購入しました。MMX Pentium133MHz、メモリ32MBというロースペックでしたが、インターネットが普及していたこともあり、色々なサイトを巡って改造法を学習し、最終的に現在はMMX
Pentium266MHz(オーバークロック)、メモリ128MBのWindows98快適マシンになりました。大学入学直前まで使い続けましたが、先日遂に現役を勇退。現在は祖父宅でインターネット入門機として、生意気にも無線LANを取り付けられ活躍しています。いつの間にか時は経ちまくり、大学入学。PC-98シリーズや98NX機では到底乗り切れない時代はとっくに過ぎていました。仕方なく“新品の”パソコンを購入。それが現在の愛機Lavie
LL350/Bです。買ったのはいいですが、一週間もしないうちに故障が頻発。OSが勝手にシャットダウンするのは日常茶飯事。酷いと電源投入しても画面すら出ない状況に。怒りに燃え上がった私は、半ギレモードで121コンタクトセンターへ電話。こちらがいくら「初期不良ですよね」と言ってもあまりいい答えは返って来ず、最終的には「PC-9800の頃からずっとNECさんのパソコン使っているんですけど」攻撃に出るつもりでしたが、何度も詳しく状況説明をしたら交換してくれることとなりました(笑) 今、手元にあるLavie
LL350/Bは2台目のものです。この2台目も最近挙動不審な時がありますが、一体…?現在、Lavie LL350/Bをメインに、PC-9821
V13をサブとして使っています。マイクロソフトがWindows
XPリリース時に勝手にフォントを変更してしまったため、従来のWindows機でhtmlを組むと体裁が崩れてしまうことが判明。その為、Windows
XPを搭載しているLavie LL350/Bでhtmlを組んでいます。そして、長いこと活躍しているPC-9821
Nb10/S8は、私の部屋のプリンタサーバーとして余生を送っています(先日、純正の“固定ディスクドライブ”から異音がし、間もなく動かなくなってしまいました。現在はこの端末に載る限界容量の4.3GBの“固定ディスクドライブ”を載せています)。
結局のところ、私はNECのパソコンしか使ったことがありません。その為、他のメーカーさんのパソコンは良く分かりません(笑)
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PC-9821
Nb10/S8
CPU→Pentium100MHz
MEM→80MB(フル装備)
HDD→Hitachi 4.3GB
OS→Windows98
現在、プリンタサーバーとして活躍中。 |
PC-98NX
LV13C
CPU→MMX Pentium133改266MHz
MEM→128MB(フル装備)
HDD→IBM 8.4GB
OS→Windows98SE
現在、祖父宅にてネット入門機として活躍中。 |
Lavie
LL350/B
CPU→AMD Athlon XP-M 2400+ 1.80GHz
MEM→256MB
HDD→TOSHIBA 40GB
OS→Windows XP HomeEd
現在、メイン端末として活躍中。 |
・デジカメ歴
そんなに長くないので数年程度ってことで...
私が初めてデジカメを使ったのは高校入学直後のことでした。突如として我が家にやってきたOLYMPUS
C-300 Zoomが私の初代デジカメとなりました。当時としては最高画質の300画素を誇り、コンパクトなボディでありながら、非常に綺麗な写真が撮れるカメラでした。が、それは普通の使い方をする場合の話であり、信号撮影という一風変わった使い方をすると、その性能は一気にダウン。光学2.7倍、デジタル3.6倍のズームで遠くにある信号が撮れる訳もなく、見るも無残な写真ばかりになりました。Signal
from みやぎを開設した2002年から約1年半、私はC-300
Zoomを使い続けました。そして、2003年3月、私はあるデジカメに一目惚れをしました。それが現在の愛機OLYMPUS
C-700 UltraZoomです。光学10倍、デジタル2.7倍という脅威のズーム機能を備えたそのカメラに私は心奪われました。そのカメラの持ち主は交通信号機資料館管理人のしばやんで、オフ終了後、仙台に帰ると同時にヤフオクで購入。手元に来てからというもの、世界が変わったようで、ただただ感動するばかりでした。信号ファンの方々の中にもOLYMPUS
UltraZoomシリーズを愛用なさっている方が数名いらっしゃいますが、05年の段階で初代UltraZoomのC-700を現在も使い続けているのは遂に私だけになってしまったようです。私にC-700を薦めてくれたしばやんも、後継機のC-760に乗り換えています。確かに、211万画素、光学10倍、デジタル2.7倍という機能は、現在のUltraZoomシリーズの性能と比べ物になりません。しかし、私はここで宣言します。“古いカメラだからという理由で低画質な写真を撮らない。古くとも性能を限界まで引き出せばまだまだ勝負できる。いくら新しいカメラを使っていても、使い方が悪ければ私のC-700の方が勝つ。”これです。信号ファンが増えてきた昨今、カメラの性能だけを追い求め、新しいカメラにすれば写真も綺麗になると思っておられる方が少なからずおられると思います。ハッキリさせておきましょう。それは間違いです。私も決してC-700の機能をフルに使い切っているとは言いません。勿論、最新機種にすれば手振れ補正や大きいズームなど、沢山の新機能が装備されており、今より画質が上がるのは間違いないでしょう。でも、ちょっと待ってください。今、現在使っているカメラの限界まで試してみようではありませんか。私はC-700が修理不能になるまで、若しくはC-700の限界を感じるまで使い続けるつもりです。例え4桁の画素数を持つカメラが発売されようと、光学30倍ズームのカメラが開発されようと、私はC-700と共に信号を撮り続けます。先日もズームレバーが故障してしまい、オリンパスで修理してもらいました。流石はオリンパス、ズームレバーユニットの交換だけでボッタクリのような値段を提示してきましたが、C-700の命にはかえられないえられないということで、料金を支払いました。ボディもキズやヘコミが沢山あります。タイマーのランプ位置もズレています。見た目も新品と比べると見る影もありません。某中古品店で試しに下取り値を聞いてみたところ、500円でした。ボロいと言われようが、キタナイと言われようが、500円と言われようが、私は絶対にC-700を手放しません。新機種のカメラに少しでも追いつけるよう、テレコンレンズも購入しました。KENKO
DIGITAL TELE 1.83* LD-183Tがそれです。これを付ければ光学だけで20倍近くのズームをかけることが可能です。ピンボケや色ズレを起こしやすくはなりますが、基本スタンスとして“デジタルズームは最悪の状況下でしか使わない”ということを信条としている私には、まさにテレコンレンズは救世主なのです。
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OLYMPUS
C-700 UltraZoom
画素数→211万画素
レンズ→OLYMPUS LENS光学10倍×デジタル2.7倍=27倍
テレコン→KENKO DIGITAL TELE 1.83*
LD-183T
ズーム→光学10倍×デジタル2.7倍×テレコン1.83倍≒50倍
現在の愛機です。左がノーマル、右がテレコン装着時のものです。 |
OLYMPUS
C-300 Zoom
画素数→300万画素
レンズ→OLYMPUS LENS光学2.7倍×デジタル3.6倍≒10倍
テレコン→コンパクトカメラの為、装着不可
ズーム→光学2.7倍×デジタル3.6倍≒10倍
現在は家族用として活躍しています。 |
・運転歴
そんなに長くありませんが...
※所持免許→第一種普通自動車(MT)、普通自動二輪(MT)、原付
一応、原付から順番に取得しました。自動二輪免許は持っているのですが、いずれは限定解除を行い、大型二輪免許も取得しようかと考え中。別に400cc以上のバイクに乗ろうとは思いませんが、“この世に自分の乗れないバイクがある”というのがどうにも気に食わないので(笑) 普段は車、バイク共に安全運転を励行しています。車は自宅の軽自動車を主に使用しています。もう一台の車はホンダの某3ナンバーミニバンですので、乗りたくもありません(笑) 大抵はバイクで走り回っています。現在、ホンダのCB125Tというバイクに乗っていますが、既に約15年落ちです。しかしながら、機関系は頗る調子がよく、坂道だろうが農道だろうがバリバリ走ります。ただ、電気系統だけは経年劣化が酷く、毎月何処かしら調子が悪くなります。その度に手入れはしているのですが、やはり古さは隠せなくなってきています。それでも、毎日の通学、バイト、レジャー、そして信号探索にと、毎月1200キロずつ順調に距離を稼いでおります。昔から好きだった自転車は、免許を取ってから乗る機会がメッキリ減ってしまいました(笑) 以前こちらで紹介していたGIANT
CROSS 2000も、手入れと慣らし走行だけはしていますが、サイト開設当初のように宮城県内を縦横無尽に走り回るなどという大舞台には出なくなりました。
・その他
※携帯電話→Vodafone V601N(カーマインレッド)
2004年発売当時、“日本初のテレビ付ケータイ”というキャッチフレーズで店頭にならんでいたこの機種も、既にカタログから姿を消してしまいました。今やテレビ付が当たり前のようになってしまい、購入当初のようなもの珍しさがなくなってしまったのが残念でなりません。バッテリーもヘタっており、30分もテレビを見るとバッテリーの残量は限りなくゼロに近くなってしまうような状況です。Vodafoneに於いては、時代は3G。パケット定額が当たり前。残念ながら3Gが発表される直前の機種であるため、僅か1年半前の機種にも関わらず、現在は出来ないことだらけです。機種変更するにもお金がありませんので、しばらくはV601Nを使うことになりそうです。
以下、気が向いたら追加します。
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