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鈴ヶ峯踏切
海側 山側
島部
場所 広島県、広電 宮島線:井口〜鈴峯女子大前間 起点距離5k970
JR山陽本線:新井口〜五日市間
踏切警報灯 広電:三工社LHU 2004
JR海側:日本信号?(普通型) ?
JR山側:三工社普通型 ?
島部:三工社LHU 2004
電気踏切遮断機 海側:日本信号EM1016C 1995
山側進入側:京三製作所MCG-ME8F H.10
山側脱出側:京三製作所MCG-65D S.52修理:1991年 By 大同信号
列車進行方向指示機 広電:てつでんLED式,AC,DC24V 2004
JR:てつでん両面 DC24V(SUS) 2001
島部:てつでん片面 DC24V(SUS) 2001
非常ボタンあり

  開かずの踏切&事故多発踏切3連星その2。 団地から国道に出るルートにあるせいか,やたらと交通量の多い踏切です。 そのくせ国道の信号の処理能力が乏しいので朝はいつも大渋滞です。
   JRの上り側踏切反応地点が五日市駅手前にあり, 上りが来るだけでウンザリするくらい待たされます。 ラッシュ時に広電がダンゴにでもなっていればもう言わずもがなです。
  おまけに高校が近くにあって,そこの生徒を始め多くの人たちが遮断機潜りをしてゆきます。
  島部の線路の間は5m弱で,クルマはこの間で止まることは出来ません。 過去にここに止まったクルマが大きな事故を起こしていることから, ここには「とまるな」とデカデカと表記してあります。
  2004年の4月末までは警報灯は親灯が京三L53,島部が日本信号BD57でしたが, 現在は両方とも三工社LHUに置換えられてしまいました。
蟹原第2(JR)/吉見園(広電)踏切
海側。手前が広電。 山側。遠くから見ると電柱が非常に邪魔。
場所 広島県、広電 宮島線:鈴峯女子大前〜広電五日市間 起点距離6k336
JR山陽本線:新井口〜五日市間
踏切警報灯 海側:日本信号?(普通型) ?
JR山側:三工社普通型 ?
電気踏切遮断機 未調査


列車進行方向指示機 広電:三工社型式不明(標準型) ?
JR:三工社型式不明(標準型) ?
非常ボタンあり

  開かずの踏切&事故多発踏切3連星その3。
   鈴が峰踏切とは異なり,当地ではここだけの警報灯 が一組にまとまったタイプです。 なので見た目が普通すぎて一目見ただけでは共同踏切とは気付きにくい。 2つある方向指示器が共同踏切であることを誇示しています。
  ここは川沿いにクルマを集めてくる道の為,クルマがよく通る道ですが, 五日市駅に程近く(当然反応地点は五日市駅遥か向こうです),更に広電もよく広電五日市駅でまごまごするので, ラッシュ時には数珠つなぎになります。
湯蓋第1踏切
海側 山側
場所 広島県、広電 宮島線:広電五日市〜佐伯区役所前間 起点距離6k828
踏切警報灯 三工社LH 1997
(山側左側)三工社LHT-1 2001
電気踏切遮断機 日本信号EM1010E S.63
下り側の踏切反応灯が遮断機降下後一定時間点滅します。

  作者の引っ越す前の家が近所だったため思い出深い踏切です。 親と一緒にこの踏切へ見に行って,いつまでも居続けて困らせたものです。
  山側の警報機はその当時右側の架線柱のところに立っていました。 この方が奥のJR(この頃はまだ国鉄)の踏切から見通しが良かったです。 旧広電五日市駅(山側の写真より右側)からの見通しは最悪でしたが。 この頃はまだ両方とも電鐘+京三L53でした。
  広電五日市駅が現在の場所に移転したときに (確か1988年くらい),山側の警報機は今の場所に改められました。 この位置は建物の死角になるので何とかならんのかと思うところ。 なお,このとき山側は電鈴になりました。
  時は過ぎ去って1998年10月,高校生になった我輩はこの踏切が取替えられる前に写真を撮ろうと思い出向いたのですが, 時既に遅し,その2日か3日くらい前に現在のものに置換えられてしまっていて, 愕然としました。この頃広電の電鐘はここを含めて3カ所(東高須と平良)だけになっていたので, 以後焦って平良踏切の記録に走ることとなります。
  なお,警報機柱はそのまま流用されました。 その後,2001年くらいに山側の警報灯が増設され(左2灯),今に至ります。
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